じゃなくても、いいじゃない  ⭐︎ムナカワミラ⭐︎

主婦の戯れ言です。正義感、ポリコレ、頑張り、夢などに胸熱にならない方、よろしくお願いします。

今週のお題「何して遊んだ?」☺︎遊びと幸せの原型

山の手育ちだからなぁ・・。「何して遊んだ?」って質問は・・。ごめんあそばせ。

「あぁ、お金持ちなら、あまり遊ばず習い事ばかりだったのかなぁ?」と思ったアナタ、はい、ミスリードに引っかかっております。「こんな下品な口調のブログの人が、山の手育ちだとぉ?」と思ったアナタ、正解です。

文字通りの山の手、そう、山の中の高台で育ったので、それはもうワイルドな子供時代。一応、大都市と言われる市内でも都会とは限らない。場所によりけり。

どのくらい山の手かと言うと、春になって陽気が良くなると、最寄りの公園という名の広場で登山風の楽しそうな家族が簡易テントを立て、プチキャンプ感出しつつBBQをやったりするくらい。「ほら、お父さん穴場を見つけちゃったよ!」みたいな横を、ヒールで通勤してましたけどね。普通に通り道なんで。

そんな感じなので、小さいころは塀の上をシュタタタっと走って、ご近所の庭から外にはみ出すように成ってるグミやナツメの実を捥いで食べる「オヤツ忍者」(今更ながらすみません)や蓋のしてない生活排水用の側溝(3段階くらい幅違いがある)をただ飛びこえて跨ぐ「ドブ飛び」(もちろん失敗して落ちたら大変なことに)、「ゴムとび」に「ゴムかけ」と色々あったけど、メインはいつもただの原っぱに"木登りの木"と何の装飾もない名前で呼ばれていた一本の大きな木を登る「木登り」だった。

多くの子供が登りすぎて、表面は磨いたようにツルッツルで、みんな自分の背に合わせて手掛かりを何とか見つけて登る。何度もチャレンジしないと当然登れず、木の二股になっているところで寝転がってる子が羨ましくて、みんな頑張って登るのだ。

秋になるとグリーンピースくらいの大きさの青い実がなり、やがて赤く色づいてくると、これはもう取ってもいい合図。取った実は帽子に貯めて、もちろん上から、木登りの木の下にいるチビ達にぶつけるよね。でも自分の弟や妹がやられると、こっそりその弟妹にやり返してみたり、家族愛が育まれていたかも。

驚くべきことに、そこは本当に実力社会。木に登れる実力があれば、女でも男でも年下でも同等。逆に年上でも登れなければ格下扱い。なので、登れない子は学校から帰るとランドセルを家に置きに帰らず直接木登り練習に来たり、自分の弟妹や友達に「あそこに足をかけてみ?」「怖ない、怖ない!」と教えたり励ましたりと、みんな努力も惜しまなかったなぁ。ご褒美も何もないのに、なんであんなに必死だったんだろ。

部活動が始まる小学校低学年までは、毎日こんな感じで、性別年齢学力貧富差は全く関係なく、遊びの中では実力主義的フラットな社会が形成されていたのに、いつからヤヤコシイことになったんだろ?少なくとも木登り体験が私の価値観の一端を担っている気がする。

振り返ってみると、その時は気づかなかったけど、あれは幸せの原型だったのかな。今週のお題のおかげで気づいちゃったな。