じゃなくても、いいじゃない  ⭐︎ムナカワミラ⭐︎

主婦の戯れ言です。正義感、ポリコレ、頑張り、夢などに胸熱にならない方、よろしくお願いします。

【ニュース的】戦争をなくすという意味を考えてみた

戦争をなくす手法じゃなくてフワッとした話の割に重めです。申し訳ない。ゼレンスキー大統領が個人的になーんか好きじゃないのもあって、世に反抗的なスタンスを。15の夜の3倍以上の夜なんだけどね。まだ反抗したい。(知らない人はスルーで是非)

ウクライナ、酷い状況になってますね。ただ普通に暮らしている人々が何であんな酷い目に?戦争なんて世の中からなくなりゃいいのに、と思うけど、よく考えてみたら戦争って定義は何?と思いません?いつから戦争になったって言えるのか。宣戦布告したら、かな。因みに今のウクライナとロシアはどの時点から戦争状態に?何かヌルッと戦時中に・・。

中学の社会の授業で、サッカーの勝敗から戦争になったこともあるんだよ、って聞いたことがあるけど、どの時点から「戦争」ってなったのか気になる。

私がこんな面倒臭いことを考えちゃうのは、大好きな星新一の影響。高校生の時、星新一の本、中でもすぐ読めるエッセイ群は私のバイブルだった。風呂の中でも読んでたので、文庫本が湿気で開きまくってペーパー加湿器みたいな状態になってたもん。そのエッセイの中に確か「戦争をなくすには、50年くらい全ての本をはじめ世の中で戦争という言葉を使うのを禁止したらいい」と言うようなことが書いてあって、要は戦争という言葉をなくしてみたら?という提案だった。高校生の時は全くピンと来ていなかったけど、大学の哲学の授業で言葉=概念ということなのかーと知って、やっと言いたかった意味が少し分かった。

例えば、新型コロナウィルスは、初めて人間の前に出てきたから新型なのであって、前から自然界には存在してたウィルスかもしれない。人間がまだ存在を知らず新型コロナウィルスという名前がなかった時、新型コロナウィルスは存在していたと言えるのか、言えないのか、ということ。

私の場合で考えてみるとストレスが似たような感じかも。ストレスという言葉=概念がなかったから、仕事中にストレスっぽいものを感じていても「なーんかヤな感じ!感じ悪っ!」ってモヤモヤしたまま終わってた時代に生きてたよ、私。でも概念がないからこそ酷いストレスは感じなかったのかも。それはストレスです、って名前を知った途端に、ストレスがかかりそう。

人間が認識して初めて存在するとなるなら、戦争という言葉=概念をなくしてしまえば、戦争もなくなるのでは?平和をつなぐには、戦争の悲惨さを語り継ぐという常識に反抗的な星新一のスタンス、どうでしょう?私の記憶&解釈違いだったら恥ずかしい限りだけど。

戦争という概念がなくなってもやはり争いは起こると思うけど、戦争は絶対悪の共通概念だから「戦争」とくくってしまった途端に、言い訳を聞くスタンスにもならないし、加害側だけが100%本当に悪いのかの検証もナッシン。仲裁や人助けするにしてもちゃんとした手順を踏まなくちゃならなくなってガンジガラメ。私は善悪って絶対的なものはなくて、基本的にグラデーションだと思っているので、どこかに解決のヒントというか落とし所があるんじゃないかと思ってしまう。今のウクライナ見て、ノンビリそんなこと言ってる場合か!とは思うけど。「イザコザ」って言ってる間は、もう少し規則がゆるく色んなアプローチができると思うし、敵味方分けずに何とかならんかな。

でも戦争って概念を立てることで、武器の使用が大手を振ってできるということは、どこかで大きなお金が動いているということですかね。

戦争をなくすための1番の問題点は結局ソコだったりして。あーヤダな。